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上杉謙信|軍神・越後の龍Ⅰ

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上杉謙信武田信玄

(1530~1578)戦国時代、越後国(現在の新潟県)の武将。義理堅い武将として有名で、また戦国最強の武将である武田信玄のライバルです。闘神である毘沙門天を崇拝し、自らを「毘沙門天の生まれ変わり」と称し、彼の家臣に対しても自分を毘沙門天だと思うように常々言い聞かせていました。

上杉家において、あらゆる誓約を結ぶ時は、春日山城内の毘沙門堂で行われていました。
しかし、ある時急いで誓約を結ばなくてはならない事態に陥りました。毘沙門堂まで行き誓約を結んでいる時間はなかったので、謙信は家臣に対し、自分の目の前で誓うように言い聞かせましたが、家臣は言うことを聞きません。そこで謙信は「私こそが毘沙門天である、だから今ここで誓約を結びなさい」と言い、家臣を従わせたのです。

毘沙門天の力をまとい、謙信は戦国武将として多くの戦に勝利してきました。
彼の人生の中で人生の転機を迎えたのが23歳の時に関東管領の職を背負って立った時でしょう。
当時、関東最大の力を誇る北条氏を討つために、謙信は8700の兵を率いて小田原へと進軍しました。
謙信は、その道中、関東の諸将を鼓舞し、次々と武将が謙信に従っていくと、たちまち謙信の軍勢は115000まで膨れ上がりました。

当時それほどの兵を率いることが出来た武将は、彼を除いて一人もいなかったでしょう。謙信には若くして、人を惹きつけるカリスマ性と、武将としての義を貫き、家臣を従わせる能力が備わっていたのです。
そして、中でも彼の人生で一つ戦いを挙げるとしたら、やはり武田信玄との五度に渡る川中島の戦いでしょう。
そもそもその戦の始まりは、甲斐の武田信玄が信濃への侵略を試みようとしていたところ、信玄に追われた村上義清と北信濃の衆は、1553年に上杉謙信に助けを求めました。
助けを求めてきた武将や衆の中には、上杉謙信と関係のない者もいましたが、謙信は「義」のために川中島へと出陣します。...続く

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